12/29(木) スーパーB級グルメの旅 その3

 

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4人組は、その夜、水原(スウォン)に一泊した。

 

水原と言えば、カルビである。

3大カルビの発祥の地の一つと言われている。

 

塩ダレをベースに漬けこんであるヤンショム(薬味)カルビは

特に人気がある。

 

焼いた後、タレに付けない食べ方が一般的である。

 

そこで、本水原カルビ店に行ったが、あいにくラスト最終ということで、

入ることが出来ず、次にカボジョンカルビ店に行くことにした。

 

時間は9時を回っていただろうか。

 

しかし、店内には結構お客様がいる。

 

70%ほど埋まっているようである。

 

このお店は、3F建ての建物であり、1階が一般客、2階が団体客

となっている。

 

1、2階併せると500席ほどあるだろうか。

 

とにかく、水原のカルビ店の店の大きさには驚かされる。

 

それでも集客できているということは、いかにカルビ人気があると

いうことであろう。

 

実に旨かった。

 

 

翌日は近くにある民俗村へ立ち寄り、ソウルを目指す。

 

まずは腹ごしらえをと、三角地にあるホルモン店に行くことに。

 

店の入口の看板に 、平壌屋(ピョンヤンオック)とある。

 

コプチャン(小腸)とヤン(ミノ)の専門店である。

 

店の名前からして、経営者は北朝鮮の人に違いないであろう。

 

38度線が引かれる前は、南北対立は無かったのだから。

 

鉄筋棒を加工して作られた焼き台の外周にコプチャン(小腸)を

真ん中にヤン(ミノ)を焼く。

 

しょう油ダレに唐辛子を漬けた特製のタレで食す。

 

さっぱりした味わいと歯ごたえが何ともいえない。

 

写真手前(K)のチャミスルがよくすすむ。

 

 

その夜、明洞に宿をとり、近くの忠武路へチュクミ(飯ダコ)のプルコギを食べに繰り出す。

 

店に入り、飯ダコと貝柱のセットメニューをオーダー。

 

多めのコチュジャンを絡めた、タコと貝柱は辛さと甘さと何か不思議な味であった。

 

 

そして、二次会ということで向かった先が、仁寺洞にあるホンオフェ(エイの刺し身)店であった。

 

国産(木浦あたりであろう)のエイの刺し身(M手前)と、ゆでた豚肉(M奥)を合せ、それをキムチで巻いて食べるのである。

 

エイを噛むとアンモニア臭が現われ、その臭いを鼻から抜きながらマッコリ(どぶろく)で喉を流すのである。

 

これを食べた人の感想は、好き嫌いが半々であろうか。

 

何ともいえない奥深い料理である。

 

 

この国へ来ていつも思うことであるが、何と言っても食の文化のすばらしさである。

 

お客様をもてなす心は、全国各地で感じることが出来る。

 

こんなにサービスして大丈夫なのだろうかと思うほどである。

 

日本の外食産業に従事している人は、特に現地に足を運んで何かと学んで頂きたい。

 

そこには、いっぱいヒントがあるはずだ。

 

 

 

今年も残すところわずかとなった。

 

来年も大いに食べ、呑み、そして語らい、すばらしい一年となるよう祈ります。

 

 

この一年、ブログに遊びに寄っていただいた皆様に、心よりお礼申し上げると共に

皆様のご健康、ご多幸を心よりお祈り申し上げます!

12/20(火) 北の将軍と脱北者

昨日、12月19日、激震が世界中を駆け巡った。

 

 

金正日総書記逝去する。

 

 

まさに、12月19日がXデーであったのか?

 

 

 

一党独裁国家として、父親である金日成から継承した2代目の死であった。

 

この日本の位置する極東アジアは、この半世紀有り

テロ、核、拉致などの脅威と向き合いながら、今日に至っている。

 

そして、この死によって何が変わるのか?

誰も解からない。

 

只一つ気になることは

3代目を継承するであろう正恩氏の若さと性質、性格である。

 

昨年の延平島の砲撃は

彼の副委員長への就任のあいさつ代わりだと言われている。

 

そして今回、29歳という若さで、総書記、委員長に登りつめた時の彼の行動とは

一体どんな祝砲を上げるのだろうか?

 

そして、それはいつなのか?

 

38度線では、既に厳戒体制が敷かれているという。

 

 

人間は年と共に丸くなると言われている。

 

20代という若さは、ややもすると、無秩序、無鉄砲に事を押し進めていく場合が有り得る。

 

彼は、スイス留学も経験し、語学堪能であると聞く。

 

国際社会の中での自国の位置付けや、役割も理解出来ていると望む。

 

人の命は貴いものであることを!

 

 

 

そして、昨年のゴールデンウィーク。

 

ソウルの南へ車で1時間の所にある水原(スウォン)市街のネオン街で

偶然、脱北者と顔を合わせることがあった。

 

その女性は年の頃、32才〜35才ぐらい。

 

俗に言う、カラオケアガシ(カラオケを一緒に同伴してくれるホステス)をしていた。

 

どうも様子がおかしいので、故郷を聞くと北朝鮮であったのだ。

 

家族はまだ北に居る。

子供も北に残したまま、一人中国へ渡り、韓国に侵入したのだという。

 

北の生活の様子を聞くと、言葉にならない。

 

北に居残るなら死んだ方がましだとも言っていた。

 

だから亡命する途中で、もし命を落とすようなことがあっても悔いはないと。

 

 

しかし、韓国経済も急成長していて、格差社会は確実に進行している。

 

脱北者が生きていくのは、そう簡単な話ではない。

 

夜のネオン街のホステス稼業が、彼女たちの唯一の生活の糧であろう。

 

彼女はしきりに言ってくる。

「チップ! チップ!」

 

1万ウォン渡すと、ずぐ靴下の中に隠してしまった。

 

ママに見つかったら取り上げられてしまうそうだ。

 

それでも彼女たちは、笑顔いっぱい幸せそうに歌っていた!

 

 

 

将軍様の訃報に、カメラの前で泣き叫ぶ国民と

小生が水原で出会った脱北者とのギャップがあまりにも大きすぎる。

 

どちらが本当なのか?

 

近いうちに真実が明らかになるような気がしてならない!

12/17(土) スーパーB級グルメの旅 その2

 

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 12月9日、昼下がり、ジャンボタクシーに乗り空港島の

西岸にある乙旺里(ウルワンリ)海水浴場近くの

東海フェッチプ(刺し身店)を目指した。

 

午後の太陽の日差しを受け、海岸沿いにある数軒の

刺し身店は、実に輝いていた。

 

店の呼び込みは、盛んに誘いをかけて来る。

 

しかし目的の店は東海フェッチプであり、

迷うことは一切ない。

 

 

店の入口にある水槽でタイとヒラメをチェックし注文する。

中ぐらいのサイズを一枚ずつ。

 

メッチュ(ビール)とチャミスル(韓国の焼酎)を注文し、

刺し身が出て来るのを待つ。

 

この時間が何とも言えない至福のひと時である。

 

 

店の外を見渡すと、きれいな海水浴場があり、

その向こうは黄海、そして中国大陸である。

 

外気温は−2、3度であろうか。

 

しかしオンドル(床暖房)の店内は実に暖かい。

 

 

ビールで乾杯し、しばらくすると「付け出し」の料理が

次々と運ばれて来た。

 

この国の「付け出し」とは、おかわり自由のサービス品である。

 

エビ、アワビ、ホタテ、ホヤ、タコなどなど約 20品。

 

そしてメインのタイとヒラメの登場である。(B、C)

 

終盤、タイとヒラメのアラの塩焼き、そして海鮮チゲ。

 

 

気が付けば昼飯を3時間も食べていた。

 

 

西陽がまぶしく、実に水平線のきれいな所であった。

 

ちなみに予算はと言うと、

タイ 10万ウォン(7千円)

ヒラメ 9万ウォン(6.3千円)

呑み代含めて 22万5千ウォン。

 

一人当り 4千円弱であった。

 

こんなに品数のサービス品を出してくれるこの国の食の文化は

すばらしいの一言につきる。

 

人はおいしい物を食べている時が一番幸せである。

 

 

海の向こうでは、中国、北朝鮮、韓国による漁場の争奪戦が

繰り広げられている。

 

帰国した翌日、この海の向こうで韓国警備船員が中国密漁船員に

刺殺されている。

 

 

緊張が続く地域だが、

小生たちは旨い物を求めて旅を続ける!

 

 

つづく。

12/15(木) スーパーB級グルメの旅 その1

7ヶ月ぶりの韓国の旅であった。

 

全くのプライベートな旅であり、普段の仕事の合間をぬって

2泊3日の4人組でのスーパーB級グルメの旅の一部をご紹介します。

 

超円高、ウォン安の状況の中

日本人は気が狂ったように買い物ツアーに殺到している。

 

一店だけ東和免税店に寄ったが、買い物を買いあさる人でごった返していた。

 

そのほとんどは、日本人のようであった。

 

日本人って結構豊かなんだ。

 

 

 

ブログのタイトルに 「B級グルメの旅」 の前に 「スーパー」 を付けてみた。

 

それは、普段中々口にすることが出来ない。

 

しかも安くてうまいグルメ。

 

つまり特別という意味である。

 

 

まずは、訪問した位置関係を書くとこんな感じである。

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仁川空港からソウルまでは約 1.5 時間。

水原からソウルまでは約 1 時間。

高速道路を利用した場合の時間である。

 

 

小生たち4人組は、仁川空港に着くやいなや

ジャンボタクシーにて、空港島の西海岸にある刺し身店を目指した。

 

そこは、昨年砲撃を受けた延平島と目と鼻の距離である。

 

この海域は、ワタリガニとイシモチの漁場で

韓国、北朝鮮、中国が領海を争い、常に緊張した海域である!

 

しかし、旨い物を求めて、小生たちはフェチプ(刺し身店)を目指した!

 

つづく。

12/05(月) 中国流浪の旅 編集後記

今、こうして読み返してみると、当時目標は立てたが、いかに実行するかが大変であると思う。

誠に恥ずかしい話である。

 

 

 

小生にとって初めての訪中は、天安門事件の2年前であった。

 

JC青年の船 とうかい号で、名古屋埠頭から天津港、北京への

10日間の研修旅行であった。

 

JCメンバー、講師の先生、一般乗船者含め500余名の船旅である。

 

 

中国政府の「熱烈歓迎」という横断幕での歓待を受け

500余名は、一路天津から北京を大型バス20台で目指した。

 

パトカーに先導され、時速約 100km。

車間距離 4m。

信号無視の大名行列に度肝を抜かされた。

 

交差点では、青信号で突き進む自転車が撃突し、転がっていた。

 

言葉に表せれない異様な光景であった。

 

また、宿泊予定のホテルでは、服務員が小生たち500余名の注文を聞いていないと受けてもらえない。

 

彼女たちの言い分はこうである。

「予約注文を受けたかは、その人がいないので解からない。

 私はその話を聞いていないので受けることは出来ない。」

 

皆一同、途方に暮れていた。

 

思い出せばいろんな事があった。

 

 

天安門事件以降、中国共産党は更に力強く躍進している。

 

その後、何度か訪中しているが、「改革改放」というスローガンの中

資本主義経済は大きく成長路線を歩み、中国共産党は益々力をつけているように思う。

 

隣りの国、韓国が民主化の契機となる光州事件。

そして、ソウルオリンピックを起爆剤として、近代国家を形成したのと

中国の天安門事件、そして北京オリンピック、上海万博とは少し違うように思える。

 

やはり、選挙のない独裁国家は不気味な存在である。

 

近年、日本企業も我も我もと、中国進出を目指しているが

果たして彼らがどの程度、中国を理解しているのか疑問である。

 

中途半端な考えで進出するのであれば止めた方がよい。

 

進むのあれば、経営者自ら、又は準ずる者が

常に陣頭指揮を取る覚悟がなければ駄目であろう。

 

人口が日本の10倍以上あるからといって、ビジネスで儲けさせてもらえるなんて

そんなに甘くはないであろう。

 

 

しかし、今後間違いなく、中国は世界の中で、冠たる立場をとっていくことだろう。

 

隣国に住む人として、上手なお付き合いが出来ればいいだろう。

 

日中、中日のより良い関係を願う。

 

今後、訪中した時にトラブルに巻き込まれないことを祈る!!

12/02(金) 中国流浪の旅 第七話(帰国後JC広報誌への投稿文)

 今回貴重な紙面をおかりして掲載させて頂いた内容は、昨年、中国へ旅をした時、孤独と不安の中で日本に居る友達

に出した絵はがき(複写で書く)の一部です。複写絵はがきには2つの意味があり、一つは旅の道中で、もしトラブルに

巻き込まれ消息不明となった時、彼らが必ず探しに来てくれるだろうと。(一方的で勝手な思い。)そしてもう一つには、

流浪の旅の全容を残しておきたかったからです。(後に本でも出版?)

 そしてこの旅に自分なりにルールを設けました。それは、旅行会社を一切通さないこと。VISAは現地にて入手する

こと。宿はその都度現地で手配すること。移動は飛行機を使わないこと。そして何よりも現地の水準に合わせた、

より経済的な旅であること等です。

 読み書き、ことばの不自由は覚悟の上、おおよその知識を持って行ったつもりではありましたが、想像をはるかに

超える困難が次から次へと発生する訳です。頼る人が誰一人としていない旅の中での最大の山場は3回程ありました。

(細かいトラブルは数えきれない。)1回目はやはり雑踏の波に追されて、VISAなしで香港を出国してしまったことです。

そして、その日の夜8時に2回目の山場がやって来ました。電車が無事、広州駅に着いた所まではよかったが、

(その時小生はあの悪夢のような国境での出来事など忘れて宿をどこにしようか考えていた。)雑踏のあまり駅の外へ

出られない。駅の出口には華僑(中国への里帰り)の出迎えでごった返しているのです。

(日本でいう山手線のラッシュ時が駅構内という雰囲気。)やっとの思いで駅の外へ出ることは出来ましたが、

外は浮浪者(乞食)の雑踏。時すでに20時を回り、この状況下では宿どころではなく、一歩も動くことすら出来ないの

です。このまま、乞食と一晩明かすのかと、この時程、雑踏の中での孤独感を味わったことはありませんでした。

しかしながら、世の中見捨てたものではなく、この局面で一人の「黄さん」という中国人に知り合い、その夜は大変有意義

に眠れたのです。そして、3回目の山場は、次の日の朝、発生しました。その日海南島へ渡る予定でいたのですが、

もうチケットは売り切れ、そして帰りの電車のチケットすら売り切れ状態なのです。もう海南島どころではなく、

帰りの足の確保をしなくてはと……。懸命の説得が通じたのか、一枚のチケットを手に入れることが出来たのです。

それは香港行きのナイトフェリーのチケットでした。しかし、1時間後、そのチケットが小生が言った日付のものでは

ないことを発見。憤りを過ぎて冷や汗の連続。そして今度こそ、正真正銘のチケットを手に入れることが出来たのです。

 そして、そのナイトフェリーにて香港へ帰って来たのですが、日本人がナイトフェリーで中国を出国するのは、非常に

めずらしいようで、念入りにチェックされてしまいました。当然、船内を見まわしても日本人は、誰一人おらず、

白人が3人、あとは中国人。日中対抗、カラオケ大会に興じ、(白人はどうもカラオケが嫌いらしい)、ベットでは老婆の

凝視した視線(寝台席の前でこちらを老婆が睨みつけている)と戦いながら一夜を船内で明かしたのです。

 そして、香港に戻った時、小生は無精ヒゲを生やした、中国系日本人になっていました。

 少し視点を変えてみます。今、中国の若者は非常にエネルギッシュです。ナイトフェリーのカラオケでもそうですし、

広州で行ったディスコ、歌舞会(ダンスホール)等、想像を絶する雰囲気に満ちているのです。そして、極めつけは、

レストランで小生が食事をしている時、日本人だと解かると(すぐにガイドブックを開けるため)ホール係の5、6人の

男女が、す〜と近づいて来て、回りを囲まれてしますのです。気が付けば、何やらそこで日本語の勉強会が始まっている

有り様です。今、中国人は鉄仮面から恵比寿様へ移り変わろうとしているのです。笑顔が、どれ程、経済発展に効果を

もたらすかが、解かって来たように感じます。特に、経済開放区(広東省を中心とする南部)では、資本主義経済の

導入により、目覚ましい発展の途上にあります。いづれ立場が逆転する日が来るのでは、と思わせるような勢いで。

 そして、バブルのはじけた日本経済。そして、そのバブル経済を追い求めて、突き進む中国経済開放区。空路わづか、

3時間の日本と中国、この東アジアを地球規模で考えた時、我々日本は、日本人として今後何をして行かなければ

ならないのか。今こそ、原点に戻って物事を考えてみる必要があるように思います。特に我々高度成長時に生まれた

20代、30代の青年は。

 香港で、こんな事がありました。日本へ帰る前夜、香港のあるレストランで小生がビールを呑んでいる時、入り口のドア

が開き旗を持ったガイド、続いて日本人が数人入ってきました。久しぶりに会う日本人、何か話しかけてみたくなったの

ですが、話すきっかけもなく、ふと頭にひらめいた事は、無精ヒゲも生やしている事だし、中国人になりすまして観察して

みようと。小生は「ビーチュー、ビーチュー」としか言わないので、日本人だということは全く気付かれていない様子。

その日本人のお客、日本語は自分たちしか解からないと思ってか、料理がまずいの、くさいの暴言も連発、もし中国人の

コックさんが、日本語が解れば一大騒動になっていたかも知れない。しかし、立場が逆であれば小生も同じ暴言を

はいていたのだろうか。おそらくワァーワァー言いながら同じことばを……。

 経済至上主義の過程で生んだ落とし穴が、ここにあるような気がします。飽食の時代、金銭感覚の麻痺、

マニュアル化、画一化による個性の低下、群れたがる習性等。(小生も例外ではない。)そういったことを考えると、

一度、自分自身という者を白紙の状態に置き、そこで自分自身を見つめ直してみるという事が、今、最も大切なように

思えてなりません。新しい自己の発見が、出来るのではないだろうか。

 日本へ帰る機中、小生の隣りに座ってる中年の男性が、日本人だと思い、やっとこれで日本語が話せると喜んで

いると、何と韓国の新聞を読んでいるのではないか。日本語は、小牧までおあずけイヤホンに耳を傾けたのです。

すると小生がよくカラオケで口づさむ「時代おくれ」が流れているではないですか。思わず涙がこぼれ、食事ものどを

通らないくらいに。やはり小生は日本人なんです。日本人でよかったのです。

                                                                              お わ り

 

P.S

 今年はいよいよシルクロードの起点である長安を目指し、遥かなる鉄道の旅にでます。突然、複写絵はがきが

届いた方は、小生の消息を気付かって頂き、万一トラブルに巻き込まれた際は、是非、探しに来て下さい。

中国人に同化している事も考えられますが……。

12/01(木) 中国流浪の旅 第六話(1992年 5/22〜5/26)

I 『確かにそこは深セン駅の入口であった。

   切符売り場らしき所に人の行列また行列、

   もう開いた口がふさがらない。

   駅舎へ入ったはよいが今度は改札口が見当らない。

   あと3分しかない。

   更にあせり出す。

   探せども探せども全く見当らない。

   「どうなっているんだ、バカヤロー。」

   最後の手段を取るしかない。

   ポケットからチケットを取りだし手当り次第に見せて回るのだ。

   すると「上へ行け」と指さす。

   2Fへ行くと何だこれは黒山の人だかり、

   またもやチケットを取りだし……、

   すると真すぐ行って右へ曲がり下へ降りろと指さす。

   その通りに行ってみると改札口が目に入ったのである。

   思わず笑顔がよみ返る。

   一路プラットホームへ。』

   '92.5.22

   中国流浪の旅 PART1 より  斎藤 昇

 

 

11/30(水) 中国流浪の旅 第五話(1992年 5/22〜5/26)

G 『ほっと一息ついたがもう心の中はズタズタだ。

   中国独り旅などというバカげた目標を立てたことに後悔した。

   しかし、ここまで来て引き下がる訳にもいかない。

   もう何があっても出たとこ勝負である。

   心を入れ換え、気を引き締めていると、旅社の服務員が

   広州へ行くならここにチケットがあるがどうかと言ってきた。

   何も考えず深セン−広州間の直通チケットを求めた。

   さて再度の香港出国である。

   そして検疫を受け中国入国審査、税関を進み、

   とうとう深センイミグレーションを通過した。』

 

H 『しかし喜んでばかりいられない。

   もう時計は既に5時45分を指している。

   深セン→広州行の列車は4時55分発だ。

   日本と中国の時差が1時間、

   時計を合わせる余裕などあるはずがない。

   あと10分しかない。

   イミグレーションを通過したはよいが今度は深セン駅がわからない。

   ガイドブックによるとすぐとなりになっているがさっぱりわからない。

   途方に暮れていると一人の青年があちらだと指差してくれた。

   思わず「ラッキー」と急いで一路真しぐら。

   しかしそこは出口であった。

   「バカヤロー」

   もう時間がない。

   しかし出口があれば入口が近くにあるはずだ。

   よしあの人がどよめいている所に違いないと思い

   また真しぐらに向うことにした。』

 

11/29(火) 中国流浪の旅 第四話(1992年 5/22〜5/26)

E 『ボディアクションとJTBの中国独り旅の本を片手に

   公安官をくどいていくのだが皆首を横に振る。

   4、5人目の公安官になったとき縦に首を振ってくれたのだ。

   ひょっとしたらわかってくれたのかもしれない。

   彼に全を託すしかない。

   何やら大声を発し国境の橋を戻ってもよいというジェスチャーした。

   さっそく荷物を持ち羅湖側へ戻ることが出来たが、

   その間2人の公安官につかまり3人目の公安官に

   異様な雰囲気の室へ通さわれた。

   おそらくそこは、不法進入者用の室であろう。

   2、3人の目つきの悪い広東人らしい人が据ていた。

   ひょっとしたら彼らは麻薬所持等でひっかかったのかも知れない。

   そんな事を考えると背すじが寒くなる思いである。』

 

 

F 『その室でパスポートを取り上げられ、待つ事10分間。

   係員が付いて来いというので後をついて行くと

   羅湖出国ゲートの横を通りついに香港側へ戻ることが出来たのだ。

   その係員は中国旅社があそこにあると指し、

   小生は、「シェシェ、シェシェ」とお礼を言い、さっそく旅社に飛び込んだ。

   またパスポートを取られてしまった。

   はたしてVISAが取れるのだろうか。

   待つこと20分間。

   旅社の係員が小生のパスポートとVISAを持って戻って来た。

   H$350日本円にして約 6,500 円。

   非常に安い。

   日本で取る場合の1/3、しかも20分間で取れたのだ。』

 

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11/28(月) 中国流浪の旅 第三話(1992年 5/22〜5/26)

C 『とにかく今、香港、中国間の国境でトラブルが発生してしまったのだ。

   このままでは、強制送還されるか、または……

   あせり、そして自分自身に対する情けなさ等、極限状態にきてしまった。

   女房、子供の顔が脳裏をよこぎることもしばしば。

   常日頃の読み書き、それに言葉の大切さをこれ程感じたことは今だかつてない。

   そして、こんなに孤独感を味わったこともない。

   「誰か日本語のわかる人はいないか」

   すると広東人らしい青年が小生のそばに近づいて来たのである。

   ひょっとしたら……』

 

D 『早速その青年に訳を話す。

   「中国VISAを取りそこなった。もう一度香港側へ戻りたいんだ。」

   多少日本語が分かるようだ。

   「付いて来なさい」

   というので後を付いていくが中国入国審査所まで来てしまった。

   何やら青年は審査官に説明しているようだ。

   結果は駄目であった。

   青年は手を振って行ってしまったのだ。

   「バカヤロー、どうすればいいんだ。」

   時間は刻々と過ぎて行く。

   もうすでに1時間以上トラブっている。

   このままでは〜、開き直りの心境、いや開き直るしかないと判断、

   大勢いる公安官を一人づつくどいていくことに決めたのだ。』

 

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11/26(土) 中国流浪の旅 第二話(1992年 5/22〜5/26)

A 『いよいよ香港羅湖出境ゲートが近づいて来た。

   しかし、VISA取得する為の中国旅社がない。

   そんなはずはないと思い出境手続きを済ませた。

   中国入境深セン駅まで50米、川の上に橋がかかり、橋を越えると中国である。

   いたる所に中国公安官(警察)が鉄仮面の如く仁王立ちしている。

   非常に不気味である。

   橋を越え中国深セン入境入口まで来たが中国旅社(CITS)が見当たらない。

   しまった!VISAなしで香港を出境してしまったのである。』

 

 

B 『早くも絶体絶命のピンチ到来、もう一度香港側へ再入境してVISAを取らねばならない。

   必ず中国旅社はあるはずだ。

   戻ろうとしてもう一度橋を渡ろうとすると中国公安官が訳のわからない言葉を発し、

   小生を取り囲む。

   必死になって訳を話す(日本語)のだが、さっぱりわかってくれない。

   時間だけは次第に過ぎて行く。

   徐々にあせり出す。

   もう駄目である。

   周りに大勢の人がいるが皆広東人らしい。

   小生の事など一向に見向きもしてくれない。

   「あ〜あ神様仏様、私をお守りください」「誰か助けてくれ〜」 』

 

11/25(金) 中国流浪の旅 第一話(1992年 5/22〜5/26)

近年、大国 中国は北京オリンピック、上海万博を成功裏に終え、大発展を遂げている。

 

経済はこの20年間、資本主義経済を導入し

政治は一党独裁国家(中国共産党)として、実に不気味な大国である。

 

 

そんな国に今から20年程前、興味を持ち、好奇心のあまり

単身訪ねた記録を書くことにする。

 

とは言っても、当時旅の途中で万が一の時のために

現地から日本の友人に送った複写ハガキの写しの記録であるが

翌年、JCの広報誌に掲載させて頂いたものである。

 

 

 

今から22年程前、1989年の天安門事件。

その3年後の1992年5月の出来事である。

 

 

当時 小生36才。

30代バリバリ世代であった。

 

大国 中国では、民主化に向けて小生より一回り若い

20代の多くの若者が犠牲になっていた。

 

首相 ケ小平は、「改革開放」の旗を掲げ、国民に向かって

「豊かになれる者からまず豊かになれ!」

と力説していたと記憶している。

 

 

 

それでは旅の途中で記した、当時の現場で体験した記録をアップします。

 

@ 『去年の今頃一つの目標を立てました。

   それは、子供の頃からの憧れであるシルクロードの旅である。

   そして、その旅が今年より実現しようとしている。

   10年間をかけての一人旅である。

   中国長安よりローマを目指す訳だが今年は香港より入国、

   中国南部広東省である。

   期待と不安が交錯した何とも言えない心境である。

   しかし、あらゆる障害を乗り越えて必ず実現させたい。

   ささやかな夢であるが自分自身の人格形成のために。

   努力してゆきたい。』

   名古屋→香港機中にて

 

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11/24(木) 非常時オペレーション

東日本大震災から8ヶ月が過ぎた。

 

被災地では復旧復興に向けて、民間レベルでは相当の英知を集結して取り組んでいると聞くが

国・行政レベルの取り組みが今一と聞く。

 

年末に向けて寒さが厳しくなる東北地方だけに気になる。

 

 

 

某大手経営コンサルタントのK会長は言っていた。

 

「震災以降3年間は非常時オペレーションである。

 国民一人一人が、この厳しい期間を乗り越えていかなければならない。」 と。

 

 

確かにその通りであると思う。

 

 

バブル経済がはじけて、およそ20年が経った。

 

しかし、日本人の生活スタイルは、全般的には物資的な豊かさは維持され続けている。

 

どこの家にも家電製品は当り前である。

 

電気、水は使いたい放題の状況であった。

 

 

そして、震災を契機に国民一人一人が、少しずつ変化し始めているという。

 

 

今まで節約など全くしなかった人が、電気料金や水道料金に目を通し始めた。

 

こういった現象は大きな一歩である。

 

 

リーマンショックで経済の大打撃を受け、そして大震災の発生。

 

はたまた、小生の住む東海地方では、東海・東南海地震の発生が危惧されている。

 

 

日本人は元々、実に勤勉で優秀な民族である。

 

そのDNAは、現在も受け継がれているに違いない。

 

この3年間を非常時オペレーションと捉え

特別に、倹約に節約に質素に取り組まなければならないであろう。

 

そんなオペレーションが出来た人だけが、次のステージに行けるだろう。

 

 

 

みんな忍耐強く、粘り強く、どんな事があっても諦めず雑草の如くに!

09/21(水) 田原かさぼこ祭り

今年も盛大にとり行われた、かさぼこ祭りであった。

 

先行きが不透明なこの時代にあっても

氏子の心意気で、毎年この祭りは盛大に開催されている。

 

 

 

人はバランスの良い生き方が大事であると思う。

 

人生の6分野とは

経済、職業面

健康、身体面

家庭、家族面

精神、倫理面

教養、教育面

 

そして

社会、文化面

と言われている。

 

まつりは、地域の人々と暮らす中で培われた

最も大切な社会文化面での行事であろう。

 

写真を少しアップしておきます!

 

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@田原神明社における厄年の奉納手筒。

 

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Aはなのき広場における手筒花火。

 一番右立ちは小生の息子。

 

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B本町町内会の元気な女性たちの勇姿。

 真ん中が小社の女子社員 石川。

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C大筒花火の打上げ。

 

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D夜空に描く夜玉のいろいろ。

09/07(水) 台湾訪問3

3泊4日の台湾もあっという間であった。

 

人口2,300万人のこの島の人々

特に日本統治時代を知る老人たちは、少しの日本語を理解している。

 

人々は、日本人に対して非常に親日的であり

日本語を勉強していることがよく解かる。

 

 

 

九州を一回り大きくした、南北に長いサツマイモの形をした島であるが

その殆んどは山林であり、人々は島の西海岸に集中している。

 

北の台北から始まり台中、台南、高雄まで南北に人口が密集している。

 

 

 

アジアの文化の代表格といえば、食の文化である。

 

ここ台湾も食の文化が継承され続けている。

 

中でも夜市(屋台)は、人々を眠らせないパワーを感じる。

 

屋台文化は全国に浸透しており、中でも台北では大きな屋台が4地区あり

小さな夜市を数えれば切りがない程である。

 

人々は食べ、そして呑み、朝まで活気に満ち溢れた生活をしている。

 

そんな現地の人々の普段の生活を見ることが

小生にとっては旅の醍醐味である。

 

 

 

毎年70万人が日本から台湾に出掛けているという。

 

台湾から日本へは同じ70万人が来日している。

 

同じ70万人でも人口が違う。

 

2,300万人と1億2千万人である。

 

 

しかも、超円高である。

 

1ドル100円時代と比べれば、約25%の目減りである。

 

しかし、毎日2千人が足を運んでいるのだ。

 

大した経済力である。

 

 

 

頑張ろう日本!

日本人!頑張ろう!

 

 

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 宝石店で金髪水晶のブレスレットを購入。少々高額な商品であったが健康のためならと思い。

果たしてそのパワーストーンの効果は・・・。 後のお楽しみに・・・。

 

 

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世界第2の展望台101ビルより夜景を望む。

 

 

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眠らない台北の夜市。

 

 

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お店のレシート

上の8ケタ番号が宝くじになっている。政府の景気浮揚に対する思いが伝わってくる。

わずか200円〜300円買物で1千万円を当てた人もいるそうだ。

09/03(土) 台湾訪問2

20年ぶりの訪問である。

 

3泊4日の旅であるが明日はもう家路に着く日である。

 

取引先の三浦社長には、毎年お世話になりっぱなしで感謝にたえない。

 

 

今撮った写真を少しアップします。

 

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「九フン」 と言う観光地より、最北端の海を眺める。

 

 

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 アニメの宮崎駿が、千と千尋を描く時に何度も訪れたとされる九フンの館。

09/03(土) 台湾訪問1

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高雄市内にある曲橋釣月

 

 

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高雄市内にある曲橋釣月

 

 

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高雄市内の高台より港を見下ろす

 

 

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左より、福田社長、稲田社長、渡辺社長、小生

08/31(水) 男のロマン

明日、9月1日 あるお店がオープンする。

 

小生が日頃よりお世話になっている

友人であり、先輩であり、お客様でもあるお店である。

 

オープンするお店の名前は

「ハッピーバレー ハワイ店」 という。

 

 

 

その社長をしている斎藤社長ご夫婦は

今から約35年前、田原市内に喫茶店をオープンした。

 

以来、誠実な経営スタイルは地域の人から多くの支持を得て

現在、愛知県、静岡県に7店舗を構えるまでに成長している。

 

 

斎藤社長ご夫婦の夢は、以前よりハワイにお店をオープンすることであった。

 

長男、次男はアメリカの大学を卒業し、語学は堪能である。

 

それもこれもファミリーの夢の実現に向けた計画の内であろう。

 

 

 

そして3年程前から具体的に動き始めたのである。

 

マンション物件探しから始まり、購入

そして店舗物件調査、購入、改装、求人募集、準備期間を経て

様々な障害をクリアーして、ついに明日オープンするのである。

 

 

ワクワク、ドキドキ、なぜか自分のこと以上に嬉しいのである。

 

 

ハワイへ行ったら

ピザとパスタのお店 「ハッピーバレー ハワイ店」 へ

是非行ってみて下さい。

 

 

 

長男が店長として頑張っていることでしょう。

 

「男のロマン」

やはりいくつになってもロマンのある男ってかっこいい!

08/11(木) 賞与の意味

昨日、小社も遅ればせながら夏季賞与を支給した。

 

日頃社員には、賞与を当てにした生活設計をしないよう強く言っている。

 

何が起きるか解からない時代の真っ只中にいるからである。

 

3.11の大震災

また原発の被害にあわれた方を思うと、心が痛む思いである。

 

 

 

賞与に対する考え方は色々あると思うが

小生は可能な限り、支給し続けたいと思っている。

 

人間誰でも、年に1度や2度のサプライズは欲しいものである。

 

頑張って仕事に打ち込めるのも

賞与というサプライズが起爆剤になる事もあろう。

 

それほど人間とは複雑であり、かつ単純な生き物なのだ。

 

自分自身がそのものである。

 

 

 

そして今日、朝礼で賞与について少し話をした。

 

「頂いた賞与の少しでいいから

 日頃お世話になっている人々にごちそうしてあげてなさい。」 と。

 

毎日ごはんを作ってくれる人。

毎日洗濯してくれる人。

毎日お風呂を入れてくれる人たちに…。

 

 

自分自身が職場で活躍出来るのも

そうした周りの人たちのおかげであるのだ。

 

だから、サプライズを頂いた時は、周りの人にサプライズを与えてあげよう と。

 

 

 

社員が幸せになる。

幸せな社員の回りにいる人々が、次々に幸せになっていく。

 

小さな事ではあるが、これが小生の目指す社会貢献なのである!

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